第三紀389年〜399年 謀反と幽閉
Oblivionに捕らわれている間、Urielが何を経験することになったのかは殆ど判明していない。彼は、終わることのない放浪と悪夢の光景しか覚えていないと口にしている。彼は、自分が夢を見ていたと思っていた、時間の経過の概念は無かったと証言している。公式には、長らく夢と投獄の悪夢のことは覚えていないと主張していたが、折に触れて、この伝記の元となった皇帝との会見の間、彼は自分が見た悪夢の詳細に触れて、がOblivionで幽閉されていた際に見たものに類似していることを言った。体験したことを口に出来ないほど気が進まないようには見えなかった。
しかし、その経験が彼を変えたことは明らかである。第三紀389年においては、彼は誇り、エネルギー、野心に溢れた若者であった。救出され王座に戻った王政復古の間に、彼は威厳に満ち、忍耐強く、用心深い老人へと変貌した。また、保守的で悲観的になり、生涯の最初の方針を著しく大胆で、軽率でさえあったとした。Urielは、Jagar Tharnの最初の教えと助言に対しての反応と嫌悪であるとしてこの変化を説明した。しかし、UrielのOblivionの放浪は、若かりし頃の鋭い狡猾な面と柔軟性を保ってはいたが、明らかに彼の心身を疲弊させていた。
Tharnの魔術による皇帝への変化、Tharnの僭称を暴露したBarenziah女王、Eadwyre王、Ria Silmane、Staff of Chaosを集め、反逆のImperial BattlemageであるJagar Tharnを打ち破り、Urielを玉座に引き戻した彼女のChampionの演じた役割については、名著『Biography of Barenziah』全三巻にて詳細に語られている。その物語をここで扱う必要は無いだろう。短く纏めれば、帝国情勢におけるJagar Tharnの軽視と誤った処置が帝国の経済を右肩下がりに落とし、多くの小ぢんまりとした君主や王が帝国の威信に疑問を呈するのを看過させ、東国と西国の土地を納める強力な支配者が国と主権を巡って心行くまで戦争をするのを見過ごさせてしまったのである。
第三紀399年〜415年 王政復古、Miracle of PeaceとVvardenfell
王政復古の期間中に、Uriel Septimは軍隊の圧力による攻撃的なキャンペーンと治世初期の外交的調停から離れ、代わりにBladesの様々に枝分かれした機関によって、舞台裏にて秘密裏に情勢を操作すること傾倒していった。この期間における手法と目的の完全な評価については皇帝の死の後まで待たなくてはならないが、Bladesがエージェントの身辺を保護するために秘密を維持する必要が無くなったと判断した時に、国に保管されている膨大な日記が開かれるかもしれない。
この期間における二つの見事な業績が、Urielの巧みな手腕の有効性を示すものである。「Miracle of Peace」(「The Warp in the West」と周知されている)はIliac Bay地方を雑多な交戦中の王国を秩序だち、平穏な現代のHammerfellの国家、Sentinel、Wayrest、そしてOrsiniumへと変貌させ、MorrowindのHelseth王と皇太后Lady Barenziahが巧みな策謀を用いて音頭を取ったVvardenfellの植民地化は、Morrowindをより帝国の影響下に置くものとした。
第三紀415年〜430年 The Golden Peace、King Helseth's Court(Helseth王の宮廷)、the Nine in the East
「Miracle of Peace」(最も素晴らしく記述されているのはPer Vetersenの『Daggerfall: A Modern History』である)について続けると、帝国派Urielの治世の初期に相当する平和と繁栄期を迎えた。帝国のHeartland地方と西国は帝国に強固に結びつき、Urielは東国――Morrowindに注意を向けることが完全に出来るようになった。
Morrowindの国教Tribunalの紛争と古くからのGreat Houseの統治制度を利用し、また、凄まじい脅威と化したTribunal教の中心に座す神の腐敗がVvardenfellの植民地の発展を阻害していることも利用して、MournholdのHelseth王の宮廷を通してUrielはBladesの隠密を動かし、Morrowindにおける政権の中枢をGreat Houseの議会からHelsethの宮廷に移転させ、正統派のTribunal教の崩壊を利用して、HlaaluとVvardenfell管区におけるNine Divinesの信仰の優位性を確保したのである。